2016年10月10日

「スートラ」を観てきました

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福岡市在住の東雲ですが、先日は北九州は小倉に参り、ダンスパフォーマンス公演「スートラ」を観て参りました。
少林寺の僧侶たちによる、アクロバティックなダンスパフォーマンス。
チラシ観た途端予約を決意した、楽しみな楽しみな公演。
公演当日に、上演時間が70分だったと気づいて驚愕した公演(短い・・・)。
そして実に甘美な感覚にすっかり酔った公演でした。


公演の記事へのリンクはこちら


でも最初にいつもの愚痴書いちゃう。
だからどうして素敵な公演は北九州ばっかりなのよ!
北九州芸術劇場があるからなのよね。
いつの間に福岡と逆転したのよ。
福岡には劇場少ないからね!
メルパルクなくなって久しいしね。
会場とか設備とか施設とか・・・
福岡市、文化施策ほとんどやる気がないしね!
演劇関係なにかと北九州はじめ別の地域に水あけられてるしね!

えっと、それについてはまた他の日に書こうと思います。
はい。

さて舞台。
観ながらの印象は
「これは生身によるビデオアートだ・・・」
というものでした。
(大好きな)インスタレーションを鑑賞している時にとても感覚が近かったと思います。
よって大変嬉しかったのです。

ダンスはパフォーミング・アーツだから「アート」なのは当然だし
普段ほとんどダンスの公演に行かない東雲ですが昨今のダンスパフォーマンスにはアート的側面の強いものも多いという印象もありますが
それにしても今回の公演を観ている間の一番の感想と言えば
「わああああ、アートだ・・。」
というものだったのでした。

もともと少林寺拳法などが大好き(知識はないけど)だったため一もニもなく席を取った公演でありましたが
その点では少し予想とは違った内容でした。
でももちろん予想が裏切られたことに何の文句もございません(笑)。

シンプルで美しい「四角形」が、想像を絶するテクニックと身体能力により次々と展開していきます。
「数」や「法則」の領域かと思われる、「理想」の世界。
あるいはデジタル。
あるいは宇宙。
そんなものたちが、人の身体と力、動きによって次々と紡がれる。
これはすごいことだ、と思いました。


いくら言葉を尽くしても、観ていただくより他に方法はないものですが
全く美しい公演でした。

そして思ったのは、美しさを表現するためにはやはり鍛えられた身体が有効(必要、とまでは言い切りません)だろうということ。
もともと東雲の立場はそこまで「身体」「肉体」を第一義に考えるものではなかったし
最近改めて自分の「武器」は言葉、だろうなあと思うのですが
(言葉に偏る傾向があるという弱点については大いに反省するとして)
それでも今回、「身体」というものと、もっとちゃんと向き合わなくては、向き合いたい、それが必要である、と思わせられたのでありました。

役者の身体(言葉、声も含めて)は、表現を「より」行い得るものとなることを目指す。

目指したい、と思ったのでありました。

楽しかった♪

さてたった今、
自分の武器は言葉(セリフ)である、
と書いたばかりですが
つい昨日、「ないセリフ」が一番重要である、という脚本を書きました。
当初の予定よりはやっぱりセリフが増えてしまいましたが
最も重視しているのは「セリフのない」シーンであり、そのシーンのためにこの一本を書いた、というものであります。

しかしセリフを書かずあまつさえ演出としては役者さんに賭ける、ただ賭ける
逆に言うと作家としても演出家としても、自分は何もせずに役者さんに全部やらせようとするという
よく考えたらかなり非道な脚本だと非難されるかもしれません。

が、そんな非道な作品を、ぜひ上演したい、すぐしたい、と珍しくそんな気持ちになっています。




posted by ゆう at 18:27| Comment(0) | 観劇

2016年06月12日

「十一人の少年」を観て

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ゆうべは久しぶりに福岡で芝居を観てきました。
ぽんプラザホールで行われました「マニアック先生シアター」さんの
「十一人の少年(北村想作)」です。
土曜日は二回公演で、行ったのはソワレの方。

途中、なんだか知ってるなあこれ、と思ったら、
大学に入りたての時に友達について見学に行った演劇部が読み合わせしてたお話でした。
ちなみに自分は演劇部には入らなかったんですが(友達は入りました)。

最近学生時代になにかと縁があるなあ。
まあそれは関係ないとして。

面白かったです。
まずそれです。
話もそうですが、舞台自体に大変魅力がありました。
そして、やってて楽しいだろうなあ・・・というのが伝わってきました。
いろんな意味で充実している舞台がそこにありました。
メイクも際立ってました。
照明、すごかった。
あの当て方と色選び、秀逸でした。

役者さんも当て書きかと思うほどそれぞれはまってましたが、
それは役者さん個々人の力量と稽古の成果だろうと思います(あ、キャスティングも)。
おひとりおひとりがめいっぱい作り、パワーを出し、それが折り混ざっている。
繰り返しますが充実した舞台がそこにありました。

楽しかった。
そしてうらやましかったな。

以前ならそこで多少落ち込んだかもしれませんが今の自分はちょっと違います。

帰り道歩きながら思いました。
うん。
自分にあれはできない。
なぜなら自分は「あれ」ではないから。
そもそもが、でも、目指すところが、でも、元来が、でもどの言葉でも違う気がするのですが

自分は違うのだろう。いや、違うのだ。
その言葉にちょっぴり胸が弾みました。
さまざまなものが並び立つという風景が好きだからです。

自分ってどうだろ、と思った時に、
収斂というか、そんな単語が浮かびました。
どんどん縮まっていく、深く深く、そして最後に残った「純粋」なものにたどりつく。

多分そういうものをやることになると思います。

届きたいのはいつも「いちばん底にあるもの」「いちばん純粋なかたちであるもの」だからです。

このへんのことはぼつぼつ言葉にしていこうと思います。

いい夜でした。
ありがとうございました。

余談。
ぽんって、嫌いじゃないんですが、行きにくい場所なので緊張します。
いえ、あの、お客さんが使うエレベーターが搬入口を兼ねていて妙なのに加え、四階なのにお客さんは階段が使えないってのがなんとも(笑)。
なんと下手にスペースもないですし(これはお客さんで行くとわからないけど・笑)。


posted by ゆう at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇

2015年10月04日

「ふたりのピアフ(2015.10.3)」を観て感じたこと

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ゆうべは前原(福岡県です)まで出掛けて、ステージを観てきました。
女優さんの語り、シンガーさんのシャンソンとピアノで紡ぐ、エディット・ピアフの物語。
フライヤーを見るなり予約を即決した舞台。
楽しみにしてました。

期待に違わぬすてきな舞台でした!
行ってよかった
本当に舞台が近くて、小さくてという物理的な理由もあったでしょう。
(旧商家の土間がステージになっていました♪)
しかしその上で、生で、目の前で演じられる迫力というか、
ああ、これがライヴというものなんだ、
という感覚が強くして、
「来て」よかった、と心から思いました。

そもそも芝居はライヴなんで当たり前と言えば当たり前なんですが、
でも実は当たり前じゃないとかねがね感じていて。
正直、芝居を観に行っても、「ライヴ感」を感じることが少ないんです。
むしろ今回のように、ひしひしそれを感じる事の方が、
つまり、リアルに目撃し、その場、同じ空間にいられることの稀有さ、特別さといったものを体感することの方が少なくて。
どうしてなんだろうなあ、と思っていたのです。

昨日はどうして感じられたんだろう。
やっぱり演者さんの技倆だろうか。
ハートだろうか。

感じられない、こっちの感受性に問題があるのか(笑)。

自分たちは多分、小さな会場でしか公演をしないと思うので、
そのハコの中の空気が熱くなるような、ひとつになるような、
外とは違う空間になるような、舞台と客席の呼吸が同じになるような

「特別な空間」を作りたいなあ。
作り方の秘密、探りたいなあ。



そして演者の皆様。
すてきでした。
気持ちよく包まれました。
上手いなあ・・・・と思っていました。

とっても気持ちのよいステージに感謝です。
ありがとうございました♪



そうそう、エディット・ピアフについて。

この方の逸話については、なんとなくしか知りませんでしたが
今回の語りから感じたのは

「作品をつくる」者の個性というもの。

「才能」の凄み。


というものがどういうかたちを取るのか取ったのか少し見えた気がしたな、ということ。
あくまでひとつのかたちでしょうが。

そしてステージに立つということへの姿勢。

何のために立つのか。
誰のために立つのか。

それは、「生きる」ことと繋がっているか。

ステージから客席への想いとはなにか。


なんてことについて考えました。
参考にする、という方向よりは、知る、という感覚かな。

いろんな意味で、たっぷり楽しみ、勉強した一晩でした。


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posted by ゆう at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇