2015年10月17日

稽古雑感・「B flat minor」

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今日は熊本で稽古。
遠距離稽古をものともしない皆さんが頼もしい限りです。

本日の稽古は次回公演演目、三本中二本目、まんなかの女性三人芝居です。
実は初めて本来のメンバーが顔を揃え、初めての読みとなりました。
どうなるのか楽しみでしたが、うん、みなさんさすがのカンの良さ、読み取りの上手さです。
各々ツボを押さえた読みを披露して下さいました。

再演となるこの作品、初回とは全く違った個性の役者さんが演じて下さいますので、どんな雰囲気になるのか掴めない部分もあったのですが・・・今日でキャスティングが的を得ていたことを確信
皆さん、みごとにハマっています。
予想を上回って下さいました。

その皆さんの個性をじゅうぶん生かすべく、照明等効果を駆使してまた雰囲気を作り上げて、いかに最大限に美しく映えさせて差し上げられるか。演出の責任を感じています。
また、今回は衣裳プランも演出が担当しますので、そこ、面白いところです。
ふふふふふ。

会場の制約もあり、前回とは動線が変わりますし、演出上脚本をマイナーチェンジする必要も出て来ました。
忙しくなりそうです。

この二本目でご覧に入れるのは、美しさ、そして背骨に沁みるようなある感情

「象徴主義的」と評されたこの作品に、是非ご期待下さいませ。


posted by ゆう at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 公演

2015年10月12日

自分の芝居について多分帰納法的に考えてみた〜「特権的肉体論」を読んで

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「特権的肉体論」(唐十郎)を読んで。
とは題したものの、それについて今たいしたことは書けそうにありません。
ともあれ初見です。
印象だけ書きます。

時間の関係で、三回に分けて読みました。
最初は、まさにめくるめく、と言った感じ。
ついていくのがやっとというか大変というか、
豊富な知識量に圧倒されつつ、
あまりの自由さというか「不親切(笑)さ」に身体を慣らしていく感覚でした。
次から次へ、あふれるイメージがそのまま言葉にされている。
わからせようとか説明しようとか整理しようとかいう跡があまり感じられず(笑)
ピュアというか生というかとにかく最初の最初にあるものがそのまま書き綴られている気がして
思えばそういう表現方法ってあるなあ・・・なんて思いました。
この本がそういう意図で書かれた、とは必ずしも考えませんが
無意識に近いとこというか
何かが出て来る、感じられる最初の場所、ひとの中の奥の方から湧き出してくる源泉、イメージを
そのまま取り出して並べておく。
そういう表現の仕方って、確かにある。
胆力もいるし怖いし繊細さもいるし、一筋縄ではできないけれど、パワフルだ。

自分だったらそこに、どんなふうに絡めるかなあ。

二度目に読んだ時は、体調があんまりよくない時で、
すっかり本にやられてしまいました
文字通り気分悪くなってしまった(笑)。
精神的にもダメージ受けて、弱ってしまった。
心身ってこんなに一体なのねえ、と思うと同時に、
格闘を要する本なのねこれ、と考えたりしました。

三度目、最後の時は、慣れたのか心身元気だったのか調子良く読み進み、
とうとうやる気までもらえてしまいました。
なんと言うか・・・言葉にすると、違うものと似てきてしまって言いたいこととずれてくるのですが
芝居が力を持つってこういうことかな、と考えさせられました。
鋭さやら強さやら繊細さやら熱さやら暖かさやら冷厳さやら勇気やら賢さやら
そして形而上やら。あ、観念でいいのかな?
これはあくまで個人的にですが、そういうものとの繋がりが感じられるものに
やはり敬意を抱きます。

この、いろんな意味での強烈な能動性。
俺はこうだ。おまえはどうだ。
と言われた気がして、自分のことを振り返ってみました。

自分はもともと、テーマも方法論もあらかじめ用意する方ではないです。
そういったものを最初に規定してかかるのも違う気がして
演繹よりは帰納と言うか
心の赴くままにやり重ねているうちに、おのずと何かが立ち現れてくるだろう、なんて考える方。

とはいえ、まあそこそこやり重ねも重なってきたし
演出をするにあたって、特に他団体の方には多少は何かをご説明しておかないと役者さんたちも困るだろうし
最近はそこそこ人様ともコミュニケーションを取れるようになってきたので(笑)
すこしはまとめておくのもいいかな、と、自分を振り返ってみたりも始めました。

以前突然、あ、自分の基本って「落語」にあるんだ、と気付いたことはありましたが
(この感じ、何かに似てるぞ・・・あ、落語!と思った時は面白かった)
あらためて、ものを作るときに自分がどのような状態になっているか考えてみた時、
ひとつ思い至ったのが「イデア」の考え方に近いかな、ということ。

よって「イデア」についてちゃんと勉強をしよう!と思ってまだできてないのでイメージで書いていますが(笑)、要するに、どこか・・・とても高ーいところとかあるいは深ーいところとか、空の上とかひとの内とか、そのへんはなんとなくですが、どこかにある、結晶のような純粋な、もの。それがどのようななりたちかはわかりませんがともかくあるその「美しさ」「悲しみ」「怖さ」「喜び」「痛み」その他たくさんの「純粋」に、近づいてかけらを削って、降りてきて(あるいは上がってきて)、それを店先に広げる、というのが一番近いです。

もしくは、森毅先生が書いてらした言葉に以前ひどく共感したのですが
「これってめちゃくちゃ面白いと思うんやけど、どう?」
というスタンス(原文忘れましたごめんなさい)。
面白がってもらえればよし、だめなら、そっか、と思うって態度かな。

芝居作りについては、
「ジャズのセッションのようにやりましょう」
なんて言い始めていますが
スペシャリストがすーっと集まってきてチームを作る、みたいな感じが好みです。

まだまだ・・・
まだまだじーっと見ていないと、分析しきれてはいないのですが・・・

ともあれ次の公演が決まりました。

ここでまたきっと何かが立ち上がってくることでしょう。






posted by ゆう at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年10月04日

「ふたりのピアフ(2015.10.3)」を観て感じたこと

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ゆうべは前原(福岡県です)まで出掛けて、ステージを観てきました。
女優さんの語り、シンガーさんのシャンソンとピアノで紡ぐ、エディット・ピアフの物語。
フライヤーを見るなり予約を即決した舞台。
楽しみにしてました。

期待に違わぬすてきな舞台でした!
行ってよかった
本当に舞台が近くて、小さくてという物理的な理由もあったでしょう。
(旧商家の土間がステージになっていました♪)
しかしその上で、生で、目の前で演じられる迫力というか、
ああ、これがライヴというものなんだ、
という感覚が強くして、
「来て」よかった、と心から思いました。

そもそも芝居はライヴなんで当たり前と言えば当たり前なんですが、
でも実は当たり前じゃないとかねがね感じていて。
正直、芝居を観に行っても、「ライヴ感」を感じることが少ないんです。
むしろ今回のように、ひしひしそれを感じる事の方が、
つまり、リアルに目撃し、その場、同じ空間にいられることの稀有さ、特別さといったものを体感することの方が少なくて。
どうしてなんだろうなあ、と思っていたのです。

昨日はどうして感じられたんだろう。
やっぱり演者さんの技倆だろうか。
ハートだろうか。

感じられない、こっちの感受性に問題があるのか(笑)。

自分たちは多分、小さな会場でしか公演をしないと思うので、
そのハコの中の空気が熱くなるような、ひとつになるような、
外とは違う空間になるような、舞台と客席の呼吸が同じになるような

「特別な空間」を作りたいなあ。
作り方の秘密、探りたいなあ。



そして演者の皆様。
すてきでした。
気持ちよく包まれました。
上手いなあ・・・・と思っていました。

とっても気持ちのよいステージに感謝です。
ありがとうございました♪



そうそう、エディット・ピアフについて。

この方の逸話については、なんとなくしか知りませんでしたが
今回の語りから感じたのは

「作品をつくる」者の個性というもの。

「才能」の凄み。


というものがどういうかたちを取るのか取ったのか少し見えた気がしたな、ということ。
あくまでひとつのかたちでしょうが。

そしてステージに立つということへの姿勢。

何のために立つのか。
誰のために立つのか。

それは、「生きる」ことと繋がっているか。

ステージから客席への想いとはなにか。


なんてことについて考えました。
参考にする、という方向よりは、知る、という感覚かな。

いろんな意味で、たっぷり楽しみ、勉強した一晩でした。


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posted by ゆう at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇